【アメリカ】ビッグバン・セオリーをシットコム2.0とするのは言い過ぎだろうか

 シチュエーションコメディ、いわゆる「シットコム」の中でも、最近ひときわ異彩を放っているのが、『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』です(余談ですが、シットコムには絶望的にセンスのない邦題をつけなければならない決まりでもあるのでしょうか。『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』然り、『パパにはヒ・ミ・ツ』然り...)。オタクな青年4人と、可愛いけれどそんなに頭の良くない(と言っても常識は一番ある)女の子のドタバタですが、ひとことで言うなら、きわめて現代的な作品です。リベラルという意味で、性について赤裸々に語ったり、社会問題に切り込んだりしたものは少なくないですが、そういった短絡的・象徴的なものではなく、登場人物の性格や行動が、どうしようもなく「今時っぽい」のです。そこで今回は、シットコムの金字塔である『フレンズ』と比較しながら、その本質を考えてみようと思います。

 まずは、主役についてです。フレンズでは男3人:女3人で、全員白人、うち4人は裕福な家庭の出身です。これに対し、ビッグバンセオリーでは男4:女1。これはちょっと面白いバランスです。白人4人とインド人で、全員中流家庭の出です(や、ラージは多分金持ちか)。

 前者では、 ロス×レイチェル、チャンドラー×モニカ という 定位置を軸としながらも、シリーズを通して何度か組み合わせを変えながら恋愛(っぽい何か)が繰り広げられます。これに対して本作では、恋愛に発展するのは(現時点では)あくまでレナードとペニーであって、あとの3人はいつも周りをウロウロしてるだけです。この、男の子たちが恋愛に全く積極的でなく、宇宙やコミックの話で盛り上がっているだけで幸せ という感じも、いわゆる草食系(という括りは浅薄な気がして好きではありませんが)の現代的な人物像として、非常にリアルに描けています。

 そして重要なのは、こうした設定のドラマが、それぞれの時代で非常にウケたという事実だと、私は思います。フレンズ放送当時、ドラマに求められたのはあくまで非日常だったのでしょう。他人への関心が薄く、恋愛が全てでは決してない本作の世界観が、当時のお茶の間に受け入れられたかどうかは甚だ疑問です。

 名作の放送開始から十余年、シットコムの潮流は確実に変化しています。