【アメリカ】アグリー・ベティに思う、シリーズ終了にまつわるあれこれ

『アグリー・ベティ』と言えば、近年の海外ドラマ市場では非常に知名度が高く、アメリカでも人気・評価ともに高かった作品です。リメイク元となったコロンビアの『ベティ〜愛と裏切りの秘書室』は、本国では視聴率80%を記録したとか。

 「自分の雑誌を持つ事を夢見る少女が、ひょんな事から縁遠かったファッション雑誌の編集部で働くようになり、様々な困難に出会いながらも、持ち前の誠実さで乗り越えていく」というあらすじだけを聴くと、『プラダを着た悪魔』のような、典型的なサクセスストーリー という印象を受けます。しかし、その実態は意外にもドロドロした愛憎劇で、「愛と裏切りの秘書室」というサブタイトルがしっくり来る、いわゆるソープオペラの類いです。好きだの嫌いだの、死んだだの生きてただの、信頼だの裏切りだの復讐だの、、、そんな言葉の応酬が全編にわたって繰り返されるのは、「ごきげんよう」の次の時間にやっているメロドラマさながらです。

 そんなありきたりな題材でもこれだけの支持を得たのは、徹底して明るい作風と、丁寧に作られた脚本、絶妙なファッションセンスのためでしょう。いくつもの小さな事件が並行して進んでいく点は、エンターテイメントとして非常に優れていると感じました(少なくとも、初見の時点では)。

 ベティの働く雑誌「MODE」は、だれがどうみても「VOGUE」であり(フェイ・サマーズがアナ・ウィンターであることは言うまでもなく)、文字通りモードなファッションは、特に欧米の女性にはウケが良かっただろうと容易に想像できます(日本でも、海外ドラマが好きな女性はモード系ファッションと親和性が高い という勝手なイメージが、私の中にはあります)。それでいて、痩せ過ぎのモデルを使うファッション業界への問題提起など、社会的な評価を得そうな点も抜かりなく網羅しています。

 

 さて、そんなアグリーベティですが、意外にもシーズン4で終了しています。少なくとも日本で放映されているアメリカドラマの中では、これは決して長続きしたほうではありません。むしろ一見して「あ、打ち切りだな」と思えるサイズ感です。

 イギリスドラマだとまた事情は変わってくるのですが、アメリカドラマにおいては、何シーズンで終わったか で、なんとなくの大別が出来るように思います。

 まずは、シーズン1・2で終わってしまうもの。これは単純に「つまらなくて打ち切り」「視聴率が悪くて打ち切り」のパターンです。『ツイン・ピークス』のように、人気が高かったにも関わらず潔い長さで終わるものもなくはないですが、これは稀なケースと言えるでしょう。

 次に、本作のように4〜6シーズン辺りで終わるもの。「最初は面白かったけど途中でネタ切れになった・マンネリ化した」「制作費が尽きた」というパターン(この2つはorであったりandであったりします)と、逆に「製作陣はさっさと終わらせたかったのに、人気が出たために終わらせられなかった」というパターンが目立ちます。前者でよく取沙汰されるのは『HEROES』『プリズンブレイク』『フリンジ』など。特殊な環境を舞台にしたがために長く続けられなかったり、CGのようにコストのかかる効果を多用することで経済的に行き詰まったり、というのが容易に想像できる顔ぶれです。その意味では、作りに相当な縛りがあるにもかかわらずシーズン8まで続いた『24』などは、一際優れた作品だった とも考えられます。

 そして、シーズン7・8辺りで終わるものは、主要キャストとの契約が終了したパターンが多いように思います。原因は出演料であったり、不仲であったり、なんらかのスキャンダルであったりしますが、ファンとしては一番切ない終わり方です。

 

 だいぶ脱線しましたが、4シーズンで幕を閉じた本作。こちらも上記の例に漏れず、シーズン2の前半辺りから、俄に「またこの展開か」という場面が増えてきます。もっとも、そもそもソープオペラは水戸黄門と同じで、様式美によって成り立っているようなきらいもあるので、当然と言えば当然かもしれません。しかし、なまじ一見そうした古き良きメロドラマにみえないだけに、その様式美が単なるマンネリに感じられてしまいます。

 ただ、先にも述べたように、ひとつひとつのお話が丹念に作られていることと、主役・脇役ともに非常に魅力的なキャラクターが多いことは確かなので、深く考えずに楽しみたい という気分には好適です。