【イギリス】The Mighty Booshが日本で認知されない理由がわからない

 イギリスドラマは、アメリカのそれに比べて、日本人の感覚にフィットしないものが多いように思います。とりわけ笑いに関してはそれが顕著で、『The Office』の暴走に置いていかれ、『Little Britain』のエッジに半ば嫌悪感を抱いた人も少なくないでしょう。ただ、そうした所謂「ついていけない」系がインパクトを放つ反面、ツボにはまると抜け出せなくなるような中毒性をもはらんでいるのが、イギリスのコメディの特異な点です。

 

 そのような前提がある上で、私が「海外ドラマ」という括りの中で最も愛している作品が、本作『The Mighty Boosh(http://www.bbc.co.uk/comedy/mightyboosh/)』です。

 

 主人公は男二人。シチュエーションは「動物園の飼育員」である事が多いですが、そうでなかったりもします。ドラマのパイロット版およびシーズン1と舞台(生のお芝居のほうです)では動物園で、ドラマシーズン2では売れないミュージシャン、シーズン3では雑貨屋の店員ですが、主要な人物(ゴリラ含む)の名前や性格や様相はそのままに、シチュエーションのみがコロコロ変わっていきます。

 唐突に設定が変わる事に関して、何の断りもなければ、それぞれでリンクしているわけでもなく、あたかも子供が「次、私がお姫様ね」と役割をスイッチするように、無邪気かつ自然かつ異様で、その事自体が、ヴィンスとハワード(主人公)の夢の中を覗いているような非現実感を助長しています。

 本作で最もユニークな点といえば、何と言ってもあの独特のグラフィックと音楽でしょう。アート方面ではヴィンスを演じるNoel Fieldingが、音楽では元ギタリストでもあるハワードことJulian Barrattが、それぞれのほとばしる才能を遺憾なく発揮しています。1話1話がコンパクトでありながら、完成度が非常に高いため、全シリーズを通しても20話程度しかないにもかかわらず、しばらくその世界観から抜け出せなくなるほどの求心力を持っています。

 

 おそらく日本だと、いわゆるサブカルチャーを好む人には、何かしら琴線に触れるものがあるのではないかと思うのですが、驚くほど知名度がありません。非常に不思議である反面、限られた人しか知らない秘境のような存在として、引き続きひっそりと異彩を放っていて欲しい気もしています。

【アメリカ】ビッグバン・セオリーをシットコム2.0とするのは言い過ぎだろうか

 シチュエーションコメディ、いわゆる「シットコム」の中でも、最近ひときわ異彩を放っているのが、『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』です(余談ですが、シットコムには絶望的にセンスのない邦題をつけなければならない決まりでもあるのでしょうか。『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』然り、『パパにはヒ・ミ・ツ』然り...)。オタクな青年4人と、可愛いけれどそんなに頭の良くない(と言っても常識は一番ある)女の子のドタバタですが、ひとことで言うなら、きわめて現代的な作品です。リベラルという意味で、性について赤裸々に語ったり、社会問題に切り込んだりしたものは少なくないですが、そういった短絡的・象徴的なものではなく、登場人物の性格や行動が、どうしようもなく「今時っぽい」のです。そこで今回は、シットコムの金字塔である『フレンズ』と比較しながら、その本質を考えてみようと思います。

 まずは、主役についてです。フレンズでは男3人:女3人で、全員白人、うち4人は裕福な家庭の出身です。これに対し、ビッグバンセオリーでは男4:女1。これはちょっと面白いバランスです。白人4人とインド人で、全員中流家庭の出です(や、ラージは多分金持ちか)。

 前者では、 ロス×レイチェル、チャンドラー×モニカ という 定位置を軸としながらも、シリーズを通して何度か組み合わせを変えながら恋愛(っぽい何か)が繰り広げられます。これに対して本作では、恋愛に発展するのは(現時点では)あくまでレナードとペニーであって、あとの3人はいつも周りをウロウロしてるだけです。この、男の子たちが恋愛に全く積極的でなく、宇宙やコミックの話で盛り上がっているだけで幸せ という感じも、いわゆる草食系(という括りは浅薄な気がして好きではありませんが)の現代的な人物像として、非常にリアルに描けています。

 そして重要なのは、こうした設定のドラマが、それぞれの時代で非常にウケたという事実だと、私は思います。フレンズ放送当時、ドラマに求められたのはあくまで非日常だったのでしょう。他人への関心が薄く、恋愛が全てでは決してない本作の世界観が、当時のお茶の間に受け入れられたかどうかは甚だ疑問です。

 名作の放送開始から十余年、シットコムの潮流は確実に変化しています。

【アメリカ】アグリー・ベティに思う、シリーズ終了にまつわるあれこれ

『アグリー・ベティ』と言えば、近年の海外ドラマ市場では非常に知名度が高く、アメリカでも人気・評価ともに高かった作品です。リメイク元となったコロンビアの『ベティ〜愛と裏切りの秘書室』は、本国では視聴率80%を記録したとか。

 「自分の雑誌を持つ事を夢見る少女が、ひょんな事から縁遠かったファッション雑誌の編集部で働くようになり、様々な困難に出会いながらも、持ち前の誠実さで乗り越えていく」というあらすじだけを聴くと、『プラダを着た悪魔』のような、典型的なサクセスストーリー という印象を受けます。しかし、その実態は意外にもドロドロした愛憎劇で、「愛と裏切りの秘書室」というサブタイトルがしっくり来る、いわゆるソープオペラの類いです。好きだの嫌いだの、死んだだの生きてただの、信頼だの裏切りだの復讐だの、、、そんな言葉の応酬が全編にわたって繰り返されるのは、「ごきげんよう」の次の時間にやっているメロドラマさながらです。

 そんなありきたりな題材でもこれだけの支持を得たのは、徹底して明るい作風と、丁寧に作られた脚本、絶妙なファッションセンスのためでしょう。いくつもの小さな事件が並行して進んでいく点は、エンターテイメントとして非常に優れていると感じました(少なくとも、初見の時点では)。

 ベティの働く雑誌「MODE」は、だれがどうみても「VOGUE」であり(フェイ・サマーズがアナ・ウィンターであることは言うまでもなく)、文字通りモードなファッションは、特に欧米の女性にはウケが良かっただろうと容易に想像できます(日本でも、海外ドラマが好きな女性はモード系ファッションと親和性が高い という勝手なイメージが、私の中にはあります)。それでいて、痩せ過ぎのモデルを使うファッション業界への問題提起など、社会的な評価を得そうな点も抜かりなく網羅しています。

 

 さて、そんなアグリーベティですが、意外にもシーズン4で終了しています。少なくとも日本で放映されているアメリカドラマの中では、これは決して長続きしたほうではありません。むしろ一見して「あ、打ち切りだな」と思えるサイズ感です。

 イギリスドラマだとまた事情は変わってくるのですが、アメリカドラマにおいては、何シーズンで終わったか で、なんとなくの大別が出来るように思います。

 まずは、シーズン1・2で終わってしまうもの。これは単純に「つまらなくて打ち切り」「視聴率が悪くて打ち切り」のパターンです。『ツイン・ピークス』のように、人気が高かったにも関わらず潔い長さで終わるものもなくはないですが、これは稀なケースと言えるでしょう。

 次に、本作のように4〜6シーズン辺りで終わるもの。「最初は面白かったけど途中でネタ切れになった・マンネリ化した」「制作費が尽きた」というパターン(この2つはorであったりandであったりします)と、逆に「製作陣はさっさと終わらせたかったのに、人気が出たために終わらせられなかった」というパターンが目立ちます。前者でよく取沙汰されるのは『HEROES』『プリズンブレイク』『フリンジ』など。特殊な環境を舞台にしたがために長く続けられなかったり、CGのようにコストのかかる効果を多用することで経済的に行き詰まったり、というのが容易に想像できる顔ぶれです。その意味では、作りに相当な縛りがあるにもかかわらずシーズン8まで続いた『24』などは、一際優れた作品だった とも考えられます。

 そして、シーズン7・8辺りで終わるものは、主要キャストとの契約が終了したパターンが多いように思います。原因は出演料であったり、不仲であったり、なんらかのスキャンダルであったりしますが、ファンとしては一番切ない終わり方です。

 

 だいぶ脱線しましたが、4シーズンで幕を閉じた本作。こちらも上記の例に漏れず、シーズン2の前半辺りから、俄に「またこの展開か」という場面が増えてきます。もっとも、そもそもソープオペラは水戸黄門と同じで、様式美によって成り立っているようなきらいもあるので、当然と言えば当然かもしれません。しかし、なまじ一見そうした古き良きメロドラマにみえないだけに、その様式美が単なるマンネリに感じられてしまいます。

 ただ、先にも述べたように、ひとつひとつのお話が丹念に作られていることと、主役・脇役ともに非常に魅力的なキャラクターが多いことは確かなので、深く考えずに楽しみたい という気分には好適です。

【イギリス】SHERLOCKはほんとよく出来てる

 シャーロックホームズの映像化というと、ジェレミーブレット版があまりにも完璧なので、舞台設定を現代に移したこの『SHERLOCK』は、完全に敬遠していました。だいたい、「●○を大胆リメイク!」とかいうものが良かったためしがないじゃないですか。

 でも、なんだかんだ評判が良かったのでちょっとずつ気になり始めた頃に、動画サービス「hulu(www.hulu.jp/)」に登場したので、わりとすぐに飛びつきました。

 

 結果、すごく良い。

 

 各話のタイトルこそ中途半端にあざとくていかがなものかと思いましたが、良い具合に原作を下地にしつつ、違和感なく現代の話に出来ているし(全編に科学技術やスマートフォンが駆使されるのも、このドラマの大きな特長です)、大きく改変されていながらも、シャーロックホームズの世界観に一貫して漂う陰鬱な雰囲気がしっかりと描かれているのには、正直驚きました。

 映像が美しいのも印象的です。また、シャーロックの頭の中の情報やスマホの内容が文字として画面に出てくるのも、非常に興味深い演出だと思います。こういう演出は最近、SFものを中心に散見されますが、ホームズ=クラシックな映像を想定していただけに、掴みでぐっと持っていかれた感じがしました。

 シャーロック、ワトソン、マイクロフト、レストレード辺りの人物設定はそれほど原作とかけ離れていませんが、モリアーティとアイリーンアドラーはなかなか秀逸だと思います。

 惜しむらくは、まだ2シーズン6話しかやっていないにも関わらず、早々にこうした重要人物が登場してしまったことで、全体に対してシャーロックが心を乱す描写が多過ぎる気がします。数多くの事件を冷静沈着に解決するシャーロックが居てこそ、ごく稀に出てくるスパイスとして、モリアーティやアイリーンアドラーとの関係が生きてくると思うからです。この割合が変わっているために、本作ではシャーロックがただの幼くて社会経験の乏しい人物にみえてしまっています。もっとも、それこそが制作サイドの狙いなのかもしれませんが、展開が性急な感は否めません。

 

 ともあれ、近年の海外ドラマでは群を抜いた良作である事は間違いありません。当然、原作を知っていればより深く楽しむ事ができますが、おそらく予備知識がなくても、このドラマだけで十二分に魅力的なものに感じられると思います。おすすめです。